ド根性狸追跡記

 1996年1月6日。ケガと衰弱のため飼育していたタヌキ二頭、ターチャンとオーチャンが脱走した。ターチャンは、去年の9月にカゴ罠に捕まったとき外から何者(恐らく野犬)かに襲われ結局右前肢切断となったタヌキで、ケガは良くなったものの野生に戻すのをためらっていた。オーチャンは奇しくもターチャンと同じ日に捕まったのだが、二日後下痢と脱水症状だったのを再捕獲し治療して体力の回復を計っていたら冬になり、これも又いつ野生に帰そうかと悩んでいたところだった。

 当日二頭は、60センチ近くもある庭の池のコイを捕り、肝だけきれいに食べてトタンの壁を剥がして逃げた。私はタヌキの体力とコイ肝の効力とに感心しながらも、何より彼らの「自由になりたい」「人間のもとにいたくない」という気持ちが応えた。ターチャンは念のため装着していた発信機の首輪も前日取ってしまっていたので、オーチャンしか位置が分からない。その朝は150メートル程離れた川岸のヨシなどが折り重なった下に居たのだが、私は生憎バイトの日で翌日に探すことにした。飼育檻と庭をタヌキのために提供してくれていたおじさんも手伝うと言って下さった。



 タヌキたちは、庭に続く飼育檻の扉を開けてから一カ月以上も一歩も出なかったのが、正月に庭に出るようになりそれから一週間もしないうちに大脱走をやってのけた。この用心深さと大胆さ。タヌキたちと少し付き合えば分かることは、彼らが個々ユニークで、何をやるか分からないということだ。研究するほど疑問が増える、これはソクラテスの「無知の知」さえ弄ぶ自然の神秘か野生の気まぐれか…。思考・独創性無しのパターン練習が勉強だとされているような国の人にはなおさら野生の論理は理解できない。私は「また化かされちまった」と呟く。

 オーチャンは北へ約800メートル行った所の薮の中に居た。二級河川の橋を渡り、用水路をたどったものと思われる。国道128号線まで後300メートルも無い。タヌキは食べ物探しの苦労だけでなく、自動車と野犬という天敵に身を曝す危険にも対処せねばならない。国道は致命的だ。私たちは捕獲を試みることにした。

 居る所が分かっていても素手で野生タヌキを捕まえるのは殆ど不可能だ。まして場所はタヌキの姿を隠しヒトが容易に踏み込めない薮。私は受信機とアンテナを駆使しオーチャンの位置を薮に入ったおじさんに知らせながら、オーチャンが外に出ないよう薮の外側を回る。オーチャンの歩く音だけがその存在を実体のあるものにしている。おじさんからオーチャンの位置の延長線上に移動する。六十をとうに越えたおじさんの身のこなしはその辺の若者より的確だ。漸くオーチャンを目で捉えることができた。

 オーチャンから3メートル離れたあたりの薮の中で暫し作戦会議。タヌキは目を見ている限りは滅多に動かないという。オーチャンの不安そうな濃い鳶色の目がこっちを伺う。追い詰めたは良いがこれからどうしよう。私が「銛を作って先に麻酔薬の注射器を付けて突く」という浅知恵を展開した。早速おじさんにその場を任せ、私の車までの1キロ弱を駆け通し、備品を手にして戻った。銛は発明協会々員であるおじさんに作ってもらい、私はオーチャンの横手に回りお尻目掛け銛を突いた。一瞬オーチャンの毛が逆立ち体がまん丸になった。が、針が曲がって失敗。薬は三分の一も入らなかった。二度目も失敗したところでオーチャンはこりゃたまらんと逃げ出した。また薮の中を右往左往。とうとうオーチャンは薮を出て用水の側溝を走った。

 大の大人が二人、側溝に沿って走り回る姿はさぞや奇異なものであろうが、当事者は真剣を通り越して殺気だっていた。やっとのことでタヌキを間に挟み間隔を狭めて行った先は丁度農道が上を通る暗渠であった。それも緩やかにカーブして出口が見通せない。オーチャンはカーブの真ん中に座り込んでいて銛も届かない。おじさんに一方を板で塞いでもらい、もう一方から入ることにした。

 暗渠の高さは60センチ以上あるが、幅は人一人がやっと通れるほどで、私は水の少し溜った底を這うように進んだ。オーチャンの瞳がこっちを見る度、暗闇の中でオパールのように光る。私は皮手の上に鍋掴みを填めた「狸掴み」を手にしている。これでも噛まれると痛いがそれ程血は出ない。そろそろと近付く。太腿と肘に水が染みてきた。後一息。手がオーチャンの後ろ足に触れる。一瞬掴んだ。しかしオーチャンは私の脇をすり抜けようとして向かってきた。辛うじてコンクリートの壁と脇腹でオーチャンを挟み止めた。しかし、左手を延ばそうと体を捻った途端、このすばしっこいタヌキは出口を駆け抜けていた。暗渠の中に残ったのは、お腹まで冷たい水の染みた泥まみれ人間と、タヌキの野生味溢れる強い臭いだった。

 捕らぬ狸の何とやら。私は気が逸れていく自分を感じた。しかしこのままにすることもできず、右往左往をまた繰り返した挙げ句、オーチャンは一番深い用水路をあっと言う間に500メートル程もと来た方向へ疾走して行った。この深さがオーチャンの仇となった。登れないのでまっすぐ行くしかない。先回りした私の姿にオーチャンは唯一の枝別れした用水路をたどった。そしてその突き当たりが直径15センチ位の排水管で、1.5メートル程のところで行き止まり。最近の潅漑工事でこの排水管は使われなくなっていた。私はここで「もう良いじゃないか」と思った。体も回せない管の中、オーチャンはどんな思いでいるのだろう。3時間以上も付き合ってくれたおじさんに謝りながら、「これ以上はかわいそう。国道から離れたし、これだけ元気なら何とかやって行けるかも知れない」と無責任な打ちきり宣言。当座の食料を排水管のそばに置いて去ることにした。

 その日は大阪から両親が出てきて千葉市の伯母の家で落ち合う約束があった。もう着替える気力もなく、伯母の家に電話を入れお風呂を沸かすよう頼んでから家を出た。前面だけ濡れた体を震わせながら50キロを運転した。そして、伯母の所の三頭のトイ・プードルと共に玄関に迎えに出た母は、久し振りに見る娘に言った。
「犬触りなや。犬が汚れる。」

 これには後日談も後々日談もある。オーチャンは、結局おじさんに依って高枝切りに布を巻き付けたもので引っ張り出され、その日のうちに庭に戻されていた。オーチャンは、数日後には庭の角にいる飼い犬の犬小屋を昼間占領し、どうも犬のご飯にまで手を出しているらしい。自分の体重の倍以上ある犬に、どうやってこれ程えらそうにできるのか、追跡個体を何度も野犬に殺された私には理解不可能なことである。タヌキはかくも不思議な生き物也や。オーチャンがもう一匹コイを水揚げした後、私は飼育檻に彼を戻した。それから暫くした或る朝のこと、「タヌキが逃げそうになっている」との電話が近所の人から入り、慌てて行ってみると、飼育檻の最上段(地上1.5メートル)からオーチャンが体を半分以上乗り出していた。鉄筋の溶接が錆びて緩んだとこを見逃さないのはさすがである。唸られながら「狸掴み」でオーチャンを引っ張り戻した。私は毎日「春になったらね」と、彼に声を掛けている。彼の春は近い。

(『茨木の自然』24号) (1996年2月14日記)