英国便りⅡ

イギリスの二十世紀は記録的多雨で終わり、運河の洪水は新年を迎えても繰り返された。野生生物野外研究者はタフでなければと公言している身として、この洪水を迂回するような真似は自尊心が許さない。調査用の長靴も持参していない私は、父が夏用にと送ってくれた雪駄で、膝までの水に対応した。たくし上げたズボンが濡れないようトロトロ進んでいると、目の前をバンが横切っていった。意外に早い速度に自分がとても鈍く感じられる。水は濁っていて朝は特に冷たい。百メートル余りの行程だが、数メートルで足が痛くなり、半分位で感覚が麻痺してくる。でも、恒温動物であるのはありがたいものだ。水から出ると足は返ってぽかぽかとしてくる。そのまま学部のシャワー室に直行。これをmorning ritual (朝の儀式)と称していた。日の出が八時頃なので薄闇の行といった態だったが。帰宅時は満月や街灯が水面に映ってきれいだった。しかし、イギリスの気候は恵まれているのだろう(天候はカオスだけど)。サハリンよりも緯度は高いのに、冬の気温は中途半端な零度前後で流れる水は凍らない。夏でも冬でも一日の最高低の気温の差が少なく、昼夜の長さは春秋に日々凄い早さで変化するけれど、気温や湿度だけに頼っていると余り季節感はない。

放牧地も池のようになっているところが多く、私の指導教官のDavid Macdonaldも45頭のヒツジを避難させるのに二日余り掛ったとか。一頭づつ担ぎ上げて運んだそうだ。勢力拡大で賑やかな水鳥たちとは裏腹に、木の上の巣に戻れず右往左往しているリスもいた。繁殖期までに運河の水位が下がらなければハクチョウたちも巣の場所選びに大変だろう。また、モグラは洪水の間どうしていたのだろうか。タヌキの信綱が、台風で洪水になったとき、子連れで川の側の牛舎に避難していたことを思い出した。あの年は連れ合いを交通事故で亡くし子供たちを抱え、彼にとっては大変な夏だった。


この冬休みは、元旦に一日休んだだけだ。日本に帰っていたら毎日飲んだくれてたであろう年末年始だが、人気の無いということがこれほど心休まるものだとは思わなかった。少々オックスフォードの人口密度に疲れていた私にはボーナスであった。帰国しない私が寂しいのではないかと心配したDavidのクリスマス招待も辞退し、独りきりになれる研究室に毎朝通うのが楽しかった。

しかし、論文書きは辛い。論文の構成はころころ変わり、自分の混乱した頭を象徴しているようである。全十章の当初の予定は八章になり、五章目の第一草稿に手をつけたところだ。既に三万三千語を書いているが、どれだけ、また何度書き直しになるかが頭の痛いところである。それよりも解析のやり直しになったら悶死ものだ。考察は気をつけていてもその章のテーマからずれてどんどん徘徊し収集がつかなくなるし、自分の英語にさっぱり自信が持てない。文献は読むほどに読むべき文献が増えていく。精神的にも知能的にも自分の限界を超えている。限界を意識できないほど鈍いから良いようなものだが。過酷になるほどランナーズ・ハイになるランニングとは違い、楽になることもない。それでストレス解消の為走るのは別にやることになる。洪水でランニングコースが限られたので、大学公園を10周する。それで丁度ハーフマラソンになる。走る方が書くよりどれほど楽か分らない。眠れぬ夜もあるし、ペーパーバックが無ければ長い夜を過ごせない。それでも人は言うのだろう、いつまでも学生やってて気楽でいいね、と。確かに、御気楽でないと野生生物研究なんてできない部分もある。野生生物とその研究者の将来は未知。深く考えると絶望に陥るかもしれない。

話はころっと変わるが(論文でもこういう風にいけたらねぇ…)、オックスフォードでも大根が手に入る。中国系の何でもありの多国籍食料品店で売っている。イギリス人に見せたら「こんなものライセンス無しで買えるの」と言われた。どうも武器になるほど大きいということらしい。因みに英語での大根役者はハムという。食べるハムである。大根足というのは英語では無いらしいが、ハム足といえば強烈すぎるか。それっぽいのはいるけど。この前、大根・じゃが芋・茹で卵、それとカニ風味スティックを揚げ、粉末だしに入れておでんを作った。こんにゃくや厚揚げ、がんもどきなどと贅沢は言えない。

元旦は、720ml瓶で£7.50もする澤之鶴を、母が送ってくれた数の子とゴマメと自分で煮しめた椎茸で朝から乾杯。正月だけは母も飲むなとは言わないだろう。(父はもっと飲めと言うだろう。)大晦日に年が変わる時、爆竹か花火か知らないが大変うるさかったのが、新年の朝は皆寝ているらしく、静かに時を過ごせた。他の生き物の平穏な生活を乱してまで勝手に祝うのは下品である。下宿のネコ達も不安そうに私を見上げていた。

ここで、世界でも一番‘変な’大学の一つであるオックスフォード大 (University of Oxford) について少し紹介しよう。この街で観光客が「オックスフォード大はどこ?」と住民に聞くと返答は曖昧なものか笑いになるだろう。Universityに相当する建物はなく(大学業務の事務室が集まった建物はあるが)、大学はカレッジ (College) と学部 (Department) で構成され、それらが町中に散らばっている。カレッジは経済的にも独立しており、様々な専攻の学生が所属する。教会や図書館、庭園等、各々が所有し、観光名所になっているところも多い。四十近いカレッジがあると言われるが、カレッジは大地主でもある。原則では学生は学部とカレッジ両方に所属し、学費はカレッジと実体の無い大学にも払う。学部は私の所属する動物学部など、学問別であるのは他と同じだ。大学には少なくとも4つの博物館があり、図書館の数は誰も知らない(と思う)ほど多い。中でもボドレイアンは大英図書館の次に大きく(つまり全英No.2)、毎年増え続ける蔵書に地下書庫が何マイルも伸びているとの噂があるくらい。また、この大学の人間は、この世に大学が二つしか無いと信じているらしい。もう一つはthe other place(他の場所)と呼ばれるケンブリッジである。事実、ケンブリッジ大の入学式の経験者は入学式が免除されるが、その他は一度はオックスフォードの入学式に出なくてはならない。黒ずくめのガウンと帽子で古い街を行く学生や教授を始めて見ると異様かも知れない(集団コスプレか!?)。シルドニアン劇場と呼ばれる文化遺産的建物にずらっと集められ、(私には)さっぱり分らないラテン語でごにょごにょとあって入学式は終りであった。(この建物の外塀の上には13個のローマ帝王の胸像が並んでいるが、去年誰かが工事中の標識に使われる紅白縞の円錐を一つの頭に載せて、帝王はピエロになっていた。)使う言葉も独自のものがあり、博士号はどこでもPh.Dだが、ここではD.Philと言う。そして学士生は基本的にチュートリアル(個人指導)制で学ぶ。英語圏で最古の大学と自負するだけあって、時代錯誤のところも多く、大学教職員給与の男女格差が大きいことでも毎年槍玉に上がっている。女性教職員の平均給与の方が高い大学もある中、これは大時代と見られる。学長に会う時や試験を受ける時はガウン着用だ。このガウンは学位レベルで長さが異なり、学士生は腰下まで、修士は膝、博士は床に届きそうなくらい長い。階級は食堂でもはっきりしていて、カレッジのフェロウと呼ばれる人たちはハイテーブルという一段高いところで食べるし、入る扉まで違う。週一度のフォーマル・ホールという夕食会では皆ガウンを着て、ハイテーブルの人々が入室する時、我々学生は起立し、学長がラテン語で一言終えるまでは着席して食事できない(「お座り、おあずけ、よし」という意味ではなさそうだが…)。そしてキャンドルの下、ワインが注がれコースが運ばれる。豪華なただ飯ということで行っていただけの私は、カレッジに住まなくなってから殆ど行かなくなったが。

勿論、堅苦しいばかりではない。パブはいつも学生で溢れ、酔っ払ったり冗談を飛ばしたりするのはどこの学生も同じだ。ローマ帝王にいたずらしたのも学生に違いない。13世紀建築のカレッジの石造り窓から、ミラーボールの光が零れ、ハードロックが流れてくる。ただ、パブのダーツのスコアを計算する黒板に、Krebs's cycle (ミトコンドリア内の有酸素新陳代謝系)の複雑な式群が書いてあり何か議論したような形跡があったのを見た時は感心した。動物学部隣の大学経営のパブには、サイエンスやネイチャーなどの学術雑誌が、まるでヤングジャンプかビッグコミック・スピリッツのように何気なく置かれている。そんなパブで我々WildCRUの連中は、世界的な有名科学者である教授連のエピソードを噂したり悪口を言っているのである。私は聞いているだけだが、教授の陰口を飲みながらというのも、どこの大学でも見られる光景だろう。



家畜(デスクワーク)に囚われた野生動物(フィールドワーカー)の苦悶も、あと9ヶ月で終わるはず。しかし博士論文提出の後にVIVA (ヴァイヴァ)という三時間ほどの最終口頭試験が待っている。それをパスすれば天国、落ちれば地獄どころではない。

野生生物の新世紀が良い千年でありますように。皆さんの健康とタヌキクラブの発展を祈りつつ。

(『たぬき道』31号 2001年2月) (2001年1月19日記)