究極の片想い

今、私のところに一頭のタヌキがいる。タヌキの研究者のところにタヌキがいても不思議ではないが、里山で自由に生きる野生のタヌキを追求している者にとって、ケージの中のタヌキは哀れで不自然である。このタヌキは、後ろ右足の先を半分以上失って殆ど歩けないくらいに衰弱していたのを、私に手で捕獲され、狭いケージに入れられた。彼は、傷の完治と体力の回復までの監禁という、こちらの思惑を知らない。



四月の初め、三人の方から別々にこのタヌキの情報を頂いた。足を引き摺っていて、どこかおかしいという。一度は昼間に人家の裏庭で休む彼を目撃もしたし、その近くに干し柿や鯵の頭をどっさり撒いて箱罠を仕掛けてもみた。私としては、多分車に撥ねられたのであろうが、なんとか人の手を借りずそのまま生きて欲しい、動けるなら食べ物には困らない時期だと、いささか楽観的であった。しかし、四月八日にほぼ同じ場所でふらふらのタヌキがいると通報があった。現場に駆けつけると、小学生が三人見張っていたらしく、「ここに入って行った」と指差してくれた。らかん槙が植わった畑を進むと、果たしてそこにうずくまる灰茶の物体。私の気配に逃げようとするが、小走りで追いつけた。皮手の上に鍋掴みをはめた特製“狸掴み”で首を押さえつけ、麻袋に入れる。軽い。そして人間の手で捕獲される程衰弱しきっていた。

彼は、動物病院で治療されている間も気は確かで、私の保定する手にも力が入った。私は、野生生物の生命力と、それと相反するかのような命に対しての潔さとを幾度となく目の当たりにしているので、彼が我々数人をなぎ倒して逃走しても、それともそこで息絶えても驚かないという心構えで臨んだ。

雨続きの所為か、脱水症状はそれ程見られなかったものの、歯茎が真っ白になる位の貧血と、たった2.7キロの体重(標準の約半分)。右後ろ足の指は、二本ぶらぶらの状態で残るのみで、肉球の根元の骨が露出していて、足全体が腫れ上がっており、しばらく時間が経っていたようである。左顔面には、犬に噛まれたような新しい傷もあった。獣医さんと私の所見では、トラバサミで足先を失った後、犬に襲われたのではないか、という推測が成り立った。その日から、一日二度の投薬、点眼及び消毒と、彼の辛い拘束下の生活が始まった。

タヌキの顔は、かわいい。野生の尊厳を有しながらもかわいい。見つめると、少し悲しそうでもある。フウーンン、グググと唸るのだけど、その唸り方にも悲哀が篭もっているように聞こえる。濃い鳶色の瞳は、こちらへの恐れと憎しみが宿っているはずなのに、きれいに澄んで、人が見るには美しすぎる。ワタシハキミヲ、アイシテイルヨ。抱きしめることはおろか、触れることさえ叶わぬ君。消毒のためケージから彼を出す度、“狸掴み”の上から噛まれるのが相当痛い。手が出血、内出血、血豆だらけになる。もっと怒れ、もっと憎め。君を傷つけたのは我々だ。私だけでは償えない程の罪があるから。

私は、民話などによくある動物の恩返しの話が大嫌いだ。ちょっと助けただけで見返りを期待する人間共を増長させる。我々人間がやっていることを省みれば、生きとし生けるもの全てから呪われ祟られても文句は言えないのに、何が恩返しだ。遊び半分の罠掛け、スポーツと称するハイテク駆使の狩猟や釣り。道路で生息地をずたずたにした上、車での殺戮。川をコンクリートで窒息死させ、農薬や汚染物質の毒を撒き散らし、帰化動植物のみならず放し飼いや捨て犬・猫で生態系を撹乱する。熱帯雨林の皆伐や地球温暖化を持ち出さないでも、毎日の生活の中で、これら我々の愚挙が身近に存在するのが分る。彼の苦しみと悲しみは私の怒りと戒めだ。加害者は、紛れも無く私の方だけど。とても対等には愛し合えない立場である。

彼は、八日間で800グラムの体重増加を成し遂げ、体力は日に日に回復した。食欲は初日からあり、水も良く飲み、薬はバナナに埋め込んで与えるこどができる。キャット・フード、ドッグ・フード、ペット用の肉なども与えるが、干し柿、ピーナッツ、カエル、オタマジャクシ、ザリガニの幼体、カマドウマ、アオオサムシ、ミミズなどの自然食と、変わったところでは梅酒に入っている梅の実(少し乾燥させてアルコール分は抜いてある)。自分には高価すぎて買わない一本200円の今ごろの真空パックのスイート・コーンも芯を残してうまく食べる。イチゴは食べなかった。また、少しでもストレス解消になるかと、飼い犬用のデンタボーンや犬ガムを与えると、中型犬用が一晩でほぼ無くなる。‘キシリトール入り’と書いてあるのが、噛まれる身からは何か可笑しい。噛まれる度、力がついてきたのを実感する。食器にプラスチック容器を使うとすぐにずたずたになってしまうので、お茶の缶の蓋などを使う。特に夜はガチャガチャ、ゴソゴソ、バリバリと、盛んに暴れている。逆に昼間は熟睡していて、私が近づくのにも気づかず、投薬のためのバナナをケージに入れると、ビクッとして起きたりする。

このように体力は順調に回復しつつあるようであるが、足の傷は相変わらず、いつもじゅくじゅくと露出した骨の周りが濡れていて、ケージの清掃中に暴れては出血する。消毒は、彼の精神的苦痛を僅かでも減らすために、押さえつけて塗るより、足の位置を見計らってケージの外からイソジン消毒薬を垂らしたり、硫酸フラジオマイシンの粉を散布したりすることにした。しかし、糞尿の清掃のため、ケージの床の水洗いを日に一度するのはしかたがない。日光浴を兼ねてケージを屋外に置くと、前足で外の草を掻く仕種をしたり、網目から鼻を突き出し、出たそうにもがく。それを見ているのは結構辛い。

毎晩の彼の食事も、私の悩みの種である。幸い、私は調査地に‘通い’ではなく‘住み込み’で働いているので、他のタヌキのテレメトリー(動物に装着した発信機からの電波を受信して位置などを推定する方法)をしていても、車を飛ばせば五分余りで帰宅できる。午後六時頃一回目の食事を置いて出かけ、午後十一時台に一度帰って、彼に二回目の食事を提供できる。早朝帰宅後にも何か置く。夜行性のタヌキにカエルなどの生餌を与えるには、やはり夜がいい。自然の夜行性を崩したくもないし。

しかし、このカエル獲りには私の中で少なからず葛藤があった。タヌキの命、カエルの命、ヒトの命。動物は他の生命を消費して生き延びる。私は素手でカエル獲りをする。そのこころは、「私に捕まるのは自然淘汰の類だと思っておくれ。タヌキは私より遥かに俊敏で、無駄無く食べてくれる。そして、カエルは確かに多く生息する。」手の中で動くカエルを食べるということに、魚の切り身やミンチ肉を食べるということを重ねあわせるのは不遜であろう。生きているものを食べるのが本来であったはずだ。命を食べなくなってから、人間は却って傲慢で無感覚になってしまったのではないか。命と命。自らの手で殺さなくなって、または殺すことが職業的になって、人間は益々命を無駄遣いする。「必要なだけ」というのは、資本主義社会でも共産主義社会でも実現されない。本来は、「必要なだけ、循環する」べきなのだろう。タヌキから学ぶことは沢山あるが、こうして、彼からいつまでも循環性、すなわち自然界への直接参加を奪うわけにはいかない。一日も早く、彼が本来の生活に戻ることを願う…。

研究者として、私は彼を野に放つとき発信機をつけるだろう。近頃よく思うのだが、果たして私の研究が、彼ら野生のタヌキの少しでも役にたつことがあるのだろうか、と。研究目的には、もっともらしく「ヒトとタヌキの健全な関係を模索し、保護や諸問題の解決及び予防に応用する」などと記しても、河川改修や道路舗装工事一つ止められないし、交通事故一つ防げない。これまで捕獲して発信機をつけた二十数頭のタヌキ達に、直接迷惑を掛けただけではないかとすごく不安になる。タヌキは、私の研究の主題である前に主体である。基礎研究が保護の基盤となることは、十分承知しているが、研究をどれだけどう活かせるかというのは、また別問題である。研究目的を決め、仮説を立て、研究方法を選び、データを収集し、そのデータを分析し、結論をまとめ、発表し、それからどうするべきだろうか。データ収集と分析のためのデータ・インプットにあくせくしている段階の自分が、タヌキのために何かできるかなんて考えるのがおこがましいのであろうか。私は自然保護活動家としての道を選ばなかった。政治家にも環境教育者にも革命家にもなれない。ただ生命に関する理念と生き物に対する愛情に基づいた研究活動をやりたいという、大きな夢を持っただけである。

愛するものが、大切なものが、傷つけられ失われて行く。報われぬこの想い。行き場の無い愛情とやり場の無い無力感。私は、理想主義であるが故、・狸想主義かもしれない。大いなる諦観の上にのみ成り立つこの大いなる理想なのか。諦観が大きければ大きいほど、より大きな理想が保ち得るのかも知れない。その間に何かを挟めば嘘になる。諦観と理想を礎にして、私は未来を思う。できなくてもいいから、やってみよう。自らを汚染源として恥じて自殺しても、何ら変わることは無いほど矮小・微弱な私なのだから。せめて、この片思いを成就・完遂させよう。自分のじかん生涯のなかだけでも。

今日の午後、彼を動物病院に再度連れて行った。軽く麻酔をかけ、十分に傷を消毒してもらった。傷の肉の盛り上がり方から、獣医さんは、あと二週間位で放せるのではないかとおっしゃった。タヌキにとっての二週間は長い。トーマス・マンの「魔の山」かスタンダールの「赤と黒」でも読んでくれとも言えないし。(デュマの「モンテ・クリスト伯」がふさわしいかも!?)しっかり体力を貯えて、人間の身勝手さ、恐ろしさを見極めておくれよ。

もし、私の片思いが幾ばくでも報われるとしたら、彼がこの先野生動物として生きていてくれることだけだろう。そして、私の愛情は、これからも研究生活を通して苦しむことでしか表現できないのかもしれない。

『動物文学誌』24号     一九九八年 四月 二十八日 記