夏休み?日記

八月十五日から二十四日
惚れてしまった。その性格、能力、そして強者だけが持ち得る悲壮感漂う存在感に。加えて結構お笑いの素質もあるし。
この夏は軽井沢へ...避暑じゃなくて出稼ぎに行った...。

出稼ぎの仕事はなんと「通訳」だ。イヌと会えるそうだし、何とかなるさと引き受けてしまった。ピッキオの福江さんからの紹介で、彼女の顔を潰すかも知れないこともちょっとは気に掛かったが、お気楽な私は、「クマ」、「イヌ」、「軽井沢=高所トレーニング」などというキーワードでニンマリとしてしまっていた。

ピッキオのクマ対策の重要なプログラムの一つに、クマとヒトへの「教育」がある。日本では一般にクマに対しては「学習」や「お仕置き」、ヒトに対しては「啓蒙普及」という言葉が使われている。その認識程度を推して知るべし。それをイヌと共にやっているのが、米国ユタ州に拠点を置くWind River Bear Institute (http://www.beardogs.org/index.html)で、そのディレクターCarrie Huntが、この夏、カレリアン・ベア・ドッグKarelian Bear dog二頭 (TuffyとSatchmo)とケンネル・チーフのRachel Robinsonと共に来日した。
←Tuffy タフィー

Satchimo サッチモ→

私の仕事は、講演の通訳、ピッキオのスタッフがCarrieから受けるイヌのハンドリングやクマ追い払いに使うテレメ技術のトレーニングの通訳、そして打ち合わせの通訳などだ。一番面白かったのが、事前の仕事には含まれていなかったイヌを使ったクマ追い払いの実践トレーニング(の通訳)だった。

カレリアン・ベア・ドッグを使ったクマ追い払いは、クマ問題の総合対策の一つの技術である。ゴミなどに餌付けされてしまったクマに、人間との境界線を教えるのである。しかし、軽井沢のお粗末なゴミ管理には驚いてしまった。これでは、クマに来てくれと誘っているに等しい。先ずヒトに教えることが沢山ありそうだ。

夜、街でゴミを漁っているクマや、人家に近づきすぎたクマを、イヌとヒトとで追い払う。人家の無いクマの生息地へ追いやる方向を定めて、追いかけるイヌチームと方向性をコントロールするブロックチームの共同作業である。発信機の着いたクマの位置を随時確かめながら、ここぞというときにはイヌもヒトも吠えて、時には爆竹なども鳴らしてクマを怖がらせる。特殊訓練を積み、血統的にもクマ狩に交配されてきたカレリアン・ベア・ドッグは、世界で唯一人間に優しく且つ地上に居るクマに対処できる犬種だそうだ。発信機の着いていないクマが近くに居れば教えてくれるし、その追跡能力にはすばらしいものがある。イヌと一緒にクマを追って斜面を駆け上がるときなど、全身の血が沸き立った。10〜15メートル先でクマの走る音が聞こえたこともあった。このクマ追い払いは、深追いはしない。森に入ったり、人家の無い尾根を越えるところで追うのを止める。そこが境界線だとクマに覚えてもらうのだ。餌付け期間が長いほどクマ追い払いは難しく、何度も戻るという。そして、ゴミなどの誘引物をクマに食べられないように人間側が管理し、クマがそこに来るに値しないということも学んでもらえて初めて、クマ追い払いは成功する。このプロジェクトで私が気に入ったのは、非致死的対策であることはもとより、クマの生態(行動や社会構造)に合致したところである。日本全土の様に生息地の保護管理が出来ていないところで、個体を無視して個体群管理などできない。

TuffyとSatchmoが、どれほど魅力的かは、接してみなければ分からないだろう。色々な濃い瞬間があった。勿論、働く姿は凄いけれど、寛ぐ、ふざける、楽しむ彼ら。TuffyとSatchmoのやり取りは、イヌを尊敬してきた私にもう一つ上の尊敬を感じさせてくれた。野生生物並みの能力を持ち、野生生物を蹂躙しつつも憂うる人間の味方であるイヌの立場。クマ狩用の犬種が、クマをヒトとの軋轢から解き放つ。

講演等イベントの通訳は冷や汗ものだったが、実際のクマ追い払いのトレーニングは面白く、通訳をやっているというよりは、自分が訓練されているような気がした。夜通しのクマ追い払いに、Carrieに日本語で、ピッキオのスタッフに英語で“通訳”したりした魔の時間もあった(おい、ちゃんと仕事しろ)。
最終日、またもや二時間の睡眠だけで、二十四日の午後、大阪に向けて出発して477キロ走り、遅い夕飯を実家で摂る。

八月二十六日から二十八日
奈良県川上村でタヌキクラブ総会。(総会の詳しい内容は誰かが書くよね。)
参加者の一人、下玲(しもむられいこ)を拾って集合地近鉄奈良駅前へ。久しぶりの大阪は相変わらず渋滞していたが、せっかちな私の時間配分で、奈良公園のシカを観て触る余裕ができた(背中マッサージを気に入ってくれたシカ君も居た)。
大台ケ原では、大蛇ー(だいじゃぐら)は霧に覆われたけれど、皆で「ふーーーーっ」として霧を瞬時に吹き飛ばした。これは偶然かカオスのバタフライ効果か...。(やっぱ、タヌキクラブの底力やで!)ヒトを見て寄って来るシカには、イヌやらネコやらゴリラやらの真似をして追い払おうとしても駄目だったけれど、オオカミの遠吠えの下手な真似には反応した。(これも偶然かカオスのバタフライ効果かな?)鍾乳洞探検に川遊びに宴会と、とっても楽しかった(話し合いは?したような気もする...)。林田(リンダ)宅で久しぶりに鋸引きや薪割りに汗を流した。これが宿泊費引換え(ちゃら)労働だとしたらこの時だけタヌキクラブ代表の責務を果たしたか。

八月二十九日から三十日
帰省したのは正味三日間で、姪・甥と遊び、大工仕事や草刈をして終わってしまった。 
サッカーの練習に行っている甥には見せびらかせなかったが、タヌキの標本(骨、内臓、胃内容物等)を車に積み込むとき、姪が恐々でも見に来てくれた(彼女は手伝いたかったらしい)。小学生の彼らに「大人(おとな)とちゃうやん」と言われたのは去年のことだったっけ。「大人(ひと)になんかなりたないわい」と今も言える自分が変(こわい)。

八月三十一日から九月二日
6:40に大阪を出発。大した渋滞も無く、ほぼ時速120〜130キロを保ち、580キロを給油無しに乗り切る(足利SAで母手作りの弁当は食べたが)。12.3km/g。本やアルコール標本を山積みした14万キロ突破の四駆としてはまずまずの燃費ではなかろうか。午後一時過ぎに千葉に到着。「今着いたで」と言ってすぐ叔父が倉庫整理をしているのを手伝う。

叔父は不肖の姪の腕力(だけ)には信頼を置いているらしい。悠々自適で続ける倉庫業を手伝って、エアコン(20kg+)の積み上げ下ろしで三日間汗を流す。過分のバイト料を断りきれなかった。こっちは鍛錬になるから好きでやったのになぁ。快い疲労感が、肩や腰に広がる。薪割では全く応えなかった筋肉が、エアコンの積み上げ作業で疲労を訴えたのは、やはり重力は凄い、味方にすべしということか。でも、毎日叔母とSPAに行っていたので、疲労は全く溜まらなかった。

九月三日
千葉市から約100キロの塒(ねぐら)へ漸く戻る。夏も終わりかと黄昏(たそがれ)ていたら、残暑でもう少し夏気分。溜まっているコンピュータ無しではできない仕事に、室温が33度を越えて「やーめた」が続く日々。仕様書の使用環境に35度以下とあるのはずっと進歩しとらんわ。
9月下旬の哺乳類学会が迫っている。

泳げなかったしそれほど走れなかったこの夏は、上半身だけ使った気がする。一応、現役のランナーだから山歩きだけでは物足りないと、心肺と大腿筋が文句を言う。でも、夏はいいなぁ。灼熱と対比する微風や木陰がありがたく、心と体が動かずにはいられない。

(『たぬき道』40号 2003年10月)