傷狸の詩

 
1月23日午後9時過ぎ。電話が鳴った。私が発信機を着けたタヌキが交通事故に遭ったらしい。その日は丁度、遅出のスケジュールで、午後10時過ぎから朝までのテレメの予定だったので家に居た。連絡を下さった市原氏の元へ駆けつける。タヌキは猫車で運ばれ、その中で浅く速い呼吸をしていた。一刀斎だった。右目が完全に飛び出している。四肢や腹は血でぐっしょりだ。一目見て、駄目だと感じた。今まで何体か交通事故のタヌキの死体を解剖したことがあるが、それ等に比べても無惨な姿だった。せめて楽にしてやりたいと、行きつけの獣医さんの所へ運び込んだ。私の車の後部プラスチックパンに血だまりが広がっていた。

 「先生、駄目だったら楽にしてやって下さい」私はうわごとのように言い続けた。「一応、やることはやりましょう」と獣医さんは、止血剤などを打ち、鼻や口に溜った血を洗い流したりしていた。下顎がまっぷたつに割れて、歯も数本折れていた。四肢には全く体温が無い。その夜、私に出来ることは、湯たんぽとカイロで温めることだけだった。テレメを取り止め、獣医さんに借りたケージの中の一刀斎をそっと見たり、湯たんぽを替えたりして一夜が過ぎると、彼の脚には体温が戻り、呼吸は規則的に緩やかになっていた。

 四、五時間おきに流動食を与えるのも、希望が湧けば楽しみになった。口を開けようとしても顎が割れているので強くは出来ない。幸か不幸か前歯が折れているので、そこから注射器で少しづつ入れる。ちょっと舌を動かし自分から飲み込んでくれたとき、第一の「わーい」を感じた。次の「わーい」は、おしっこをしたとき。腎機能は大丈夫だ。その次の「わーい」は、チューブ食(ベティファ・三共)を5ミリ位、私の指から舐め取ってくれたとき。臭覚も大丈夫だ。二日目の夜になると、指にのせたチューブ食を次から次へと平らげていく。気温が低いので、チューブの搾り出しが固くもどかしい位だ。四度目の「わーい」は、糞が出たとき。消化吸収器官も大丈夫の様だ。初めは細くカラカラだったが、すぐに普通の糞になった。いそいそと冷凍庫へしまう。右目は相変わらず突出したままで変色してきたが、三日目の夜、試しに置いた缶詰のドッグフードを立ち上がって食べ出した。「わーい」が「やったー」になった。一番心配だったのが脳へのダメージで、もしかしたら半身不随になるのではと思っていたからだ。四日目の昼のこと、ケージの掃除をするときに、まさか歩けないだろうと、一刀斎を外に出しダンボールや新聞紙を取り替えていると、彼はトコトコと走り出した。5メートル程行ったところでタックルぎみに捕まえた際、右手中指を噛まれてしまった。そうだ、彼には以前、ノギスで犬歯長を測っているとき急に麻酔が覚めて左親指を噛まれたことがある。今回噛まれたのは嬉しかった。顎もくっついてきたのではないかと思い、指から血を滴らせながら「やられたなぁ。へへへッ」と笑えてきた。

 野生への復帰が可能なら、できるだけ自然の物を食べさせてやりたい。私は毎日一時間ほどミミズや昆虫を採ることをはじめた。幸い、私が住んでいる牛舎の回りの溝には、長年の堆積物で夏にはうじゃうじゃとミミズが居た。が、冬にはやはり少ない。鍬で掘り起こし、両手を泥だらけにして捜す。一握りのミミズに半時間は掛かる。ハサミムシや甲虫や何かの蛹や幼虫もぽつぽつと居て、日に二、三匹づつは食べさせてやれる。一刀斎は昼間でも鼻先を土まみれにしてミミズ等を食べてくれた。イヌがよく食べる草も三、四本置くと無くなっている。少し季節外れだが柿も食べる。

 錠剤は半分に割りチューブ食を丸めて包み込むと食べてくれるが、カプセルは丸ごとでも中身を餌に混ぜても食べない。噛まれた実績(?)から、やっぱり指を口には入れにくい。しかし、抱き上げてもじっとしているので、点眼薬は入れやすい。(治療中もおとなしく、私と獣医さんとは、注射一本にしても私の相棒犬ケンの方が暴れて大変だと同感した。保定されたケンが力を入れただけで注射針が曲がった事もある。)

 ところで、ケンは、普段牛舎に張ったワイヤーに滑車を付けて繋いでいるのだが、やはり牛舎の片隅に居る一刀斎を気にして時には吠えたりする。仕方がないのでケンを私の居室に入れておいた。ある日の午後、買い物など済ませ、他のタヌキの昼間のねぐらを確かめてから戻り、鮭茶漬けでも食べようと朝の残りの塩鮭一切れをガスレンジの上から取ろうとすると、無い! そして、ケンの為の水が空っぽになっている。夕方の散歩に加えフィールドワークに出る前、午後10時過ぎにたっぷりとおしっこをさせたのに、早朝帰宅した私にケンは緊急を訴え、すぐ外の郵便受けの支柱で長い長い間片足を上げていた。

 天気が良い日には、一刀斎に首輪と紐を付けて外に出す。夜行性でも少し日光浴をした方が快復に良いかと、ケージの掃除を兼ねて草の上に繋いだり歩かせたりする。十日目を過ぎる頃には、よく走るようになった。首輪が外れそうになって慌てて押さえることもしばしば。薮に逃げ込もうともする。目さえ塞がれば放せるのではないかと感じたその頃である。彼の「社会復帰」に少し不安もあるが、何とか元に戻って欲しい。繁殖期の近付くのも気にはなっていた。

 散歩の途中、草で擦れたのか目の飛び出た部分がとれてすっきりした。(自分の片目が取れてしまうことを想像すれば、とてもすっきりなどと表現すべきではないだろうが。)2月8日に獣医さんに連れて行ったときは、化膿止めを点眼し注射もしてもらい、もうすぐ放せそうだという感触を得た。「後数日で大丈夫だろう」と獣医さんはおっしゃった。そして次の日の朝のこと、一刀斎はケージの中からどろんと消えていた。まるで獣医さんと私の会話を理解していたかのように。ケージの下段の網の少し間隔が広いところから出たとしか考えられない。敷いていたダンボールがぼろぼろになり、包んでいた毛布が脱出を示していた。一番大きな網目は測ると6×8センチだった。ダンボールで隠れているところだったので、私の油断もあった。でも、体重5.5キロ、頭回り26.5センチ、胸囲と胴回りが40センチを越える一刀斎が、ケンのお古の首輪を着けたまま、私の掌より一回り小さいところをすり抜けたのだ。「傷狸の詩」(しょうりのうた)は、彼の「勝利の歌」で終わった。空っぽのケージは、暫く私の心中でもあった。今はただ、彼の無事を祈るだけである。

 ヒトは車社会を作りだし、日本だけでも年間一万人もの死者を出し続ける。タヌキは、密度も総数(人口)もヒトより少なく、自動車の恩恵も全く受けないけれど、車社会を根源とする死に至る実数も確率も遥かに高いと言えよう。のろまだとか言ってタヌキのせいに責任転換しないで欲しい。タヌキがのろまなんて、一晩タヌキを追っ掛けてみれば嘘だと解る。ヒトは確かにのろまだが。(私は5キロの丘越え駆けっこi.e.クロスカントリー・レースで19分17秒の記録を持つが、タヌキはそんなもの屁とも思わないだろう。これ実感!)

 最後に、すぐに知らせて下さった市原夫妻と、何から何までお世話をかけた獣医師の石井氏と、突然の電話にも色々質問に答えて下さった文化庁の池田啓氏に心からお礼を申し上げる。そして、タヌキの一刀斎に「感服し尊敬しているよ。色々教えてくれてありがとう。頑張って生きて欲しい」と伝えたい(けど出来ない)。

(『たぬき道』 8号 1995年3月)