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タヌキの死ぬ数と理由の変遷

一般的に,野生動物の数や密度,死亡数や死因は調べることは難しい.タヌキも然りである.イギリスで,指導教官のマクドナルド博士に,「頭に銃をつきつけられているとして答えて欲しいが,調査地に何頭いると思う?」と聞かれたことがある.ジョークで「撃ってください」と言いそうになったが,それほど答えが難しいことを彼は知っていて聞いているのである.その時は,発信器をつけた安定した行動圏の成獣をペアとして,その行動圏の大きさや配置から調査地全体のペア数を割り出し,それに亜成獣を加えた数を大まかな「答え」とした.また,野生動物は,時期で個体数が大きく変わる.タヌキでは出産期前の3月と出産期後の6月では,総数が何倍も違うこともあるだろう.死亡数や死因はさらに難しい.私の調査地では,イヌによる咬殺と交通事故(ロードキル)がおもな死因であったが,病死や衰弱死は把握がほとんどできない.

 しかし,死因が明らかな死亡数の統計がある.「狩猟者登録を受けた者による捕獲数」と「有害鳥獣捕獲数」である(図1).これらには勿論,密猟や誤捕獲(他の動物だと間違われて捕殺)は入らないが,合法的な捕殺数の変遷はうかがい知ることができる.1980年代以降,狩猟が大幅に減り,有害駆除が増加している.



 もうひとつの統計はロードキル数である.ただ,全国的なデータとしては,日本道路公団が2005年に民営化により解散される以前に把握していた高速自動車国道でのみの数であるし,統計上のロードキルには,道路上で即死した以外の数は含まれないので,実際はもっと死んでいることになる.しかし,このような統計データを交通量などのデータと解析することによって,傾向や全体像を推察することができる.例えば,高速道路における年間交通量(台数x総延長距離)とタヌキのロードキル数には,高い正の相関(r²=0.976)があり(図2),交通量がロードキル数に影響を与えるので(反対はあり得ないよね),交通量からロードキル数を推定することが可能である[1].タヌキの総数が増加していれば,同じ交通量でもロードキル数が増えることが考えられるが,1988年から1998年のデータでは,イノシシやシカなど明らかに増加傾向のある種または以下に述べる理由で減少傾向にあるイヌでは,この間年々線形的に増加する交通量と年間ロードキル数の関係が非線形であるに対し,線形であるタヌキはその期間,全国的な個体数に大きな増減はなかったと考えられた[1].何れにせよ,タヌキのロードキル数は,全国的に道路整備が進行して交通量が飛躍的に伸びるに従い,急増したと考えられる.さらに,高速道路以外でのロードキルを含めて考えると,1998年度の交通量および道路整備レベルで,少なく見積もっても年間11万頭以上が輪禍にあっていると推定された[1].



 イヌによる咬殺数は,野外で遭遇する野犬や放し飼いの数が決め手となる.イヌの登録頭数自体は増えているが,野犬や放し飼いの数の指標となる徘徊犬の抑留数は減っている(図3).最近の小型犬・室内犬嗜好の傾向[2]からも,イヌに殺されるタヌキの数は減ってきたであろう.



 これまでにあげた死因は,人由来と言える.あとは自然死として局地的・一時的な伝染病や寄生虫の流行があげられる.ただし,ペットや外来生物が感染源であれば,それも人由来と言って良いだろう.これまでタヌキの大量死が報告されているのは,ジステンパー[3]と疥癬[4]の流行によるものである.これらによる個体群減少は,時間が経てば回復するであろうが,他の要因が重なればかなりの打撃と成りうる.

 このように,狩猟が減り,それを上回るレベルでロードキルが増え,毎年数千の単位で有害駆除され,イヌは余り脅威ではなくなったと考えられる.タヌキの死因は大きく変化し,そして毎年多くのタヌキが人為的理由で死亡していることが分かった.個々のタヌキに視点を移せば,多くが生まれ多くが死んでいく現状のなか,日々の生活を生き延び,子孫を残して行く.死因は死に方でもある.種に視点を移せば,少なく生まれ多く死ぬより(絶滅してしまう),多く生まれ少なく死ぬより(増え過ぎてしまう),多く生まれ多くが死ぬのは良いとして(自然選択であれば進化が営まれる),その死因や生活環境が急激に変わるのでは,適応はしにくく、何か生きる苦しみや死ぬ苦痛の総数が増えるだけのような気がする.


引用文献
1. Saeki, M. and D. W. Macdonald. 2004. The Effects of traffic on the raccoon dog (Nyctereutes procyonoides viverrinus) and other mammals in Japan. Biological Conservation 118: 559-571.
2. ジャパンケネルクラブ.公開データhttp://www.jkc.or.jp/modules/publicdata/
3. Machida, N., K. Kiryu, K. Oh-ishi, E. Kanda, N. Izumisawa and T. Nakamura. 1993. Pathology and epidemiology of canine distemper in raccoon dogs (Nyctereutes procyonoides). Journal of Comparative Pathology 108: 383-392.
4. Shibata, F. and T. Kawamichi. 1999. Decline of raccoon dog populations resulting from sarcoptic mange epizootics. Mammalia 63: 281-290.



コラムその昔にはタヌキを「生ませる」試みが…

福田源太郎著『たぬき』(1937)に昭和11年(1936年)の養殖狸のデータが載っている.それによると,全国で牡6,880頭,牝6,706頭が種獣として飼われ,分娩頭数が13,210頭と記されている.その毛皮のほとんどがアメリカなどに輸出されていたと思われる.野生タヌキの毛皮の卸売価格も,明治15年(1882年)に1枚12銭(0.12円)だったのが徐々に高騰し,大正9年(1920年)には30円に暴騰,その後落ち着いて昭和9年(1934年)には23~25円となっている.特にエゾタヌキは本州産の倍の高値で取引され,タヌキの毛皮産業・養殖産業は盛況を極めていくかのように思われた.しかし,『岡山県畜産史』(1980年)に因るとその終焉は早かったようである(以下抜粋).

欧米のゼントルマンに毛皮熱の高まったのにヒントを得て,和歌山県,岡山県浅口郡等にタヌキの人工養殖を試みる者が続出,上房郡中津井村(現北房町)に伝来したのが昭和6年(1931)のころであった。いわゆる「とらぬ狸の皮算用」で,鼡算式にふえる種狸を高価に売れる計算をたてた。昭和9年(1934)秋,岡山県の副業係でも大いに力を入れ,農林省から担当技師も派遣され,全国第1号の「養狸組合」がこの村に誕生した。同10年(1935)ごろ,同村に狸を飼う家が100戸を超えていた。日華事変の勅発により,輸出は止まり,金網等の資材は入手難となり,1番600円もしたものが,僅か5円,終にはタダでも引き取られなくなって,「狸にばかされた話」は結末を告げた。小田郡では,昭和12年(1937)当時,狸飼養頭数33戸,頭数146頭(雌93,雄53),生産88頭,斃死6頭であった(小田郡教育会(昭和16年)の『小田郡史(下巻)』)。

いや,これで「狸に化かされた」と言われても・・・.


Midori Saeki: Change in numbers and reasons of raccoon dog's death
『たぬき道』62号より転載.