野生ですから…

「何やってるんですか?」

「タヌキの研究です」
「タヌキ飼ってるんですか?」
「いいえ、野生ですから」
「餌やるんですか?」
「いいえ、全然。野生ですから」
「タヌキはあなたに慣れているんでしょう?」
「いいえ、全く。野生ですから」
「タヌキってかわいいですね」
「ええ、まぁ。でも、野生ですからかわいいというより立派だなと思うことの方が多いですけど…」

 これに似たやり取りを幾度となくしてきた私は、「野生」という概念の有無か解釈の違いが、このような不毛な会話を生んだであろうことに気づいた。別に人間や家畜をバカにはしていない。しかし、野生生物は違うのだ。

 「野生」とは何か。これは私の永遠のテーマでもある。自立した生活を和の中(生態系の循環の内)で営み続けることが出来る存在なのか。自らの幸運と能力とを賭けて自然淘汰を受け入れることの出来る生き物なのか。個性溢れる個でありながら個に執着せず、永い進化の営みに身を委ねることの出来る実存であるのか。ええい、言葉が足らん。

 分かっているのは自分が野生にはなれないということ。(野性的にはなれるか知らん。)そこに或る種引け目を感じるのも、贅沢かも知れないが禁じ得ない。

 とことんシビアで高邁な野生生物と、甘やかされた高慢なヒトとの橋渡しを、生き生きとした飼いイヌ達がやってくれるのかも知れない。ヒトとイヌは永代にわたって一緒に進化してきたとも言える相棒同士である。お互い本音で付き合える。イヌ科のタヌキさえもイヌと見做して付き合うことは出来ない。しかし、高邁さと高慢さとを合わせ持つイヌ達は、ヒトと野生生物との理解の手引になり得ると私は思う。イヌの目でイヌの鼻でイヌの耳でイヌの舌でイヌの心で自然を感受出来ないか。出来なくてもせめてその同じ自然の中に浸れないかなぁ。そして、野生生物の目や鼻や耳や舌や心に感性を伸ばそう。

 クマとかサルとかラフレシアとかイルカとか言われて動植物園や水族館の彼らの姿を思い浮かべる人が結構多いのだろう。私は、動物園のクマは「本物の」クマだけど、「本来の」クマと異なるものだと思う。そして、本来の姿を追究するのが、野生生物研究の醍醐味だと思う。

 「野生」とは何か?この問いに一生かけて取り組んで行きたい。

(『動物文学誌』22号:1996年)